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期待せざるもの 

 投稿者:shigako  投稿日:2019年 7月25日(木)02時02分8秒
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   時代劇に出てくる“大岡裁き”とは、大岡越前が行ったとされる裁判の総称で、親孝行を称賛し、奨励したストーリーが時々出てきます。東洋の長い歴史の中で親孝行は、人の規範として「親孝行すべし」として扱われてきたことに違いなさそうです。

 戦前の教育勅語にも、「・・・は、父母に孝行をつくし、兄弟 姉妹 仲よくし、夫婦互に睦び合い、友とは互に信義をもって交わり、・・・」という下りがありますが、逆に考えてみると、現実には親孝行しない子どもが多かったのでは・・・。

 “まあ、そのうちに親孝行をするよ”と、言っている間に親は死んでしまい、「いつまでもあると思うな 親とカネ」また、「孝行を したいときには親はなし」ではないでしょうか。

 先日、休耕田の水たまりにカルガモの親子がいて、通りがかった私は軽トラックを止めて、しばらく見ていました。親は子どもが餌を採り終えるまで見守った後、一列に並んで山の方へ姿を消しました。どんな動物を見ても子どもを大切にし、かわいがらない親はいません。

 種の保存の本能で、親は子の繁栄を捨て身で行動します。しかし、その逆は自然ではなく、「親孝行」は、人が社会を保つために考えた人為的な規範で、動物の自然の情に基づくものではないのです。

 子どもの動物の雄(オス)は、成長すると自分の親でさえ、雌(メス)の奪い合いの対象とするのが本能です。

 私が受けた戦後の教育には「道徳」という授業はありませんでした。なぜなら、あまりにも「親孝行などを押しつけてきたため、戦争を導いた戦前教育だ」と言って、抵抗する人が多かったように思うのです。

 今では「知識あるデジタル動物集団」ができあがり、子どもに老後の世話は期待せず、寂しい話ですが、社会保障に期待するしかありません。
 
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